2013年2月4日月曜日

自分がされて嬉しいこと

善意の押し付けに注意しないといけません。

「自分がされたら嫌なことは他人にしてはいけません。」
これを言う時、よくセットになって「自分がされて嬉しかったこと、してほしいことは、他人にどんどんしましょう。」というようなことが言われます。

前者の不作為は、やらなくってもゼロのままだから良いですが、後者は良くないですよね。

でも、多分本人は良かれと思ってやってるんだろうなあ、というパワハラ気味な先輩はいますし、或いは私自身もしているのかもしれません。


単発の飲み会の幹事になりました。
幹事、僕の最も嫌いなことです。
僕の嫌いな飲み会に、最も嫌いな幹事を掛けるのです。
マイナスとマイナスでプラスになんてなりません。
ただ苦痛です。

何故か、他の人が満足するように、いえ、他の人から不満が出ないように、という言い方がより正確ですね。他の人から不満が出ないように、苦手な気遣いをして色々と決めて、それでも陰口を言われる。
ワリに合いません。
これが好きなことの幹事ならまだ多少はいいんですが、嫌なこと=飲み会の幹事となると苦痛でしかありません。

でもまあ任されたもんは仕方ないので、店をセッティング。

が、リーダーシップあふれる先輩からケチが付いきました。
それは僕への指導のために、敢えて面前で言ったのだろうということはわかります。
でも、そのケチの内容がどうにも理解できません。
僕が良かれと思ってやったことが、その先輩にとっては良くなかったみたいです。
この先輩からの納得のいかないダメ出しは、今回の飲み会だけで既にもう2回目です。

先輩にしてみたら、僕の良かれと思っての考えは、「おまえの勝手な考え」ということなのですが、僕からしたら、先輩の考えが勝手な考えなように見えます。
無論それを口に出しても、関係が悪くなるだけなので、言いませんが。
この意見の対立を制するには、他の人にも意見を仰いで、数で反論を封じる必要があるのでしょうか。

でも僕は、少なくとも今は、別に相手を制することを目的としているわけじゃないんです。
たとえ多数決で相手の主張が少数派で、私の意見こそ多数派だと立証できたとしても、相手はそれで納得するかっていう微妙ですよね。
例え数の理論を出されて引き下がったとしても、内心面白くはないでしょう。

結局人の感じ方は様々なので、全員が素晴らしいと思えるようにするなんて無理なんでしょうけれどね。
でもその中でよりよいものを目指さないといけません。
やっぱり、幹事とか僕は嫌だなあ。

例のダメ出しをくれた先輩と僕の2度の意見の相違、
端的に言えば、僕は効率重視で、先輩は礼節重視というでしょうか。
僕は問題ないと思ったが、先輩が不快に感じたこと、それは多くの人が不快と感じることなのかどうかは分かりませんが、少なくとも先輩は良くないものと感じたようです。

自分がされて嬉しいこと

難しいなあ。

内向的な僕と、やたら社交的な先輩とでは、考え方も対極なんでしょうね。

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