2009年1月14日水曜日

昨日寝る前に考えたこと

昨日も一日何もせずネットでストリーミングの動画見てるだけだった。
で、そんなふうに無駄に1日過ごすと、寝る時に
また1日死に近づいたなあ、
なんて考えることがたまにある。
誰だってそんなこと考えるだろう。
もっとたまに、そっから死について考えることもある。
きのうがそれ。
小学生くらいの時には、よく寝る前に布団で死について考えてたけど、考えても気分がめいるだけなので、大人になってそんなことを考えることはあんまり多くない。

小学生の時と意見で変わるところは特に無いけど、死の何が怖いかっつーと、死ぬこと自体よりも、むしろ死んでからも世の中が動くことが怖いのね。
ものを考える精神も体もなくなるのに、時間は1000年、億年と過ぎて行き、世界は変化し続ける。
だが自分はそこには存在しない。

そんなことを考えると体がゾクゾクッとするのね。
で、そのゾクゾクはなにかを観察すると、どうも尿意らしいということに、昨日になってはじめて気付いたのね。
つまり恐ろしい目にあって思わず失禁するとか言うのと同じよ。
失禁経験が無いから気がつかなかったよ。
なるほどなー。
つまり、今のうちにおしっこしときたいけど、緊張して出ない、みたいなことがあったら、死んだ後のことを真剣に考えるといいかも知んないな。

例えば初めての林間学校。
ここでもし万が一にでももらしたら、小学生の間はおろか、中学上がっても、大人になってもずっとからかわれ続ける。だから今おしっこいかなあかんのに、トイレ行っても緊張で出ない。
同じ部屋では「お前好きな子誰?」「え?そんなんおれへんって。」「俺もゆうから正直に言えって。」「絶対ゆえよ!」とかやっている。
「100年後には俺も、この部屋にいる奴らもみんな死んでんねんなあ。長生きしたところでたかだか100年。特別なにかできる人間でもないし、俺なんか死ぬために生まれてきたようなもんだ。生まれてこなけりゃこんな思いしないですんだのに。」とか考えるわけですな。
そうするとブルルっと尿意がきて、お漏らしせずに済むというわけだ。


などと適当にお茶を濁して昨日は眠りに付いた。

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