2010年11月17日水曜日

サザエさんで「合コン」という語が使われたことについて

先週のサザエさんの録画を見ました。
二話目で「合コン」という言葉が飛び出したのでたまげました。
サザエさんには流行語のようなものは出さないという方針があるそうで、そのことについて先日自分なりに考えたところでしたので、余計に今回の合コンには衝撃を受けました。

その自分なりの考えというのは以下のようなものです。

流行語を使わない目的は時の経過によって色褪せることのない普遍性にあるのだろうが、果たしてそうして得た普遍性にどれだけの意味があるだろうか?
言葉とは常に変化するものであり、それこそが生きた言葉の証明でもある。
流行語を一切排して言葉が死ぬのを防いだとして、それは最初から命を持たない言葉にすぎないのではあるまいか。
例え流行語を取り入れたことで作品が腐りやすい、死にやすいものとなったとしても、だからこそそこにその時代におけるリアルな生を感じることができるのではあるまいか。
時代劇で古めかしい口調を使うのはその時代を言葉からよりリアルに感じさせるためであるのに、なぜ現代劇でそれを避けようとするのか。寧ろかつての時代の生きた言葉を再現しようとしているにすぎない時代劇と異なり、現代劇においては今この時代における現に生きた言葉をそのまま刻み付けることが可能であるのにだ。

サザエさんで流行語を排することは安心感に繋がるのであろうが、それは制作者側の怠慢ではあるまいか。サザエさんが新聞連載されていた頃には当然であるがそれは時代を反映した生きたものであった。
それが、原作者がいなくなったことでアニメまで生を放棄したのではあるまいか。
原作者が亡くなったことでアニメも時代を進めるのをやめるのは、一見原作者を尊重しているように見えても結局は抗議を避けるために挑戦を控えているだけであって、かえって原作者に背いているのではないか。
アニメのサザエさんが生前の長谷川町子から快く思われていなかったのも、そんな生を放棄したようなところが嫌われたのではないか。

とまあそんなことを考えたわけですが、それでも今回「合コン」という言葉が出てきて、正直に言うと大きな違和感を感じました。
合コンは最早流行語ではなく新語であるとの判断なのかもしれませんが、そんな「新語」でさえもこの違和感。
これがこれまで時を止め続けてきたツケなのでしょうが、サザエさんはアニメと原作は全く別物だと考えて、やっぱり流行語や新語は使わないべきなのかもしれません。
アニメのサザエさんは時代の止まった生を感じさせない作品。
そこに生を求めたりスタッフによる挑戦を期待したりすることがナンセンスなのかもしれません。
実際のところ僕も原作よりもそんなアニメのサザエさんの方が好きですし、恐らく多くの人もそうだと思います。

しかしこの話からスタッフ(というか雪室先生)の意気込みのようなものを感じられたような気もします。
単なる御大の一時的な気まぐれなのかもしれませんが、もし万が一これからアニメサザエさんが変わって行くというのならば僕はそれを応援したいです。

でも反発は大きそうだなあ。合コンでこの違和感だから。
幸い原作レイプなどと言われることはないでしょうがね。元々が原作と全然違いますから。

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